最近、時間ある時にゆっくりと読み進めている本があります。
やさしい行動経済学 (日経ビジネス人文庫) [ 日本経済新聞社 ]
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この本は文庫で小さいのですが、ぎっしりと英知が詰まっています。
私はこの中で幸福論という部分にとても興味を持ちました。
”投資家たちが何のためにアーリーリタイアを目指すのか?”という核心部分を、論理からも理解しておくことは、おそらく自分への過度の投資へののめりこみを防ぐことができるかもしれないと思っています。
というのも、
「お金を得ることだけが目的になってはいけない」と固く信じているからです。
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収入と幸福は比例するのか?
すでに知られていることですが、収入がある程度一定を超すと満足度は横ばいになるといわれています。これは私が以前書いたように、収入から税金を計算すると、高収入ほど、自分の労力に見合う所得が得られなくなるという話もありますが、どちらかというと別の側面の方が重要です。
一定の収入までは、「生理的欲求」の充足を求めるといわれるようです。
いわゆる衣食住や、社会保障などによる自身の安全を求めるということです。
日本では、社会保障はある程度充実していますので、生活保護を含めて食っていくだけならば、手続きさえできれば満たされることになります。住居も与えられて、安全も警察によってある程度まで保証されています。
そのあとは、「自己評価欲求」を満たすことを人は求めるようです。
自分で自分の評価を絶対評価でできるならば、他人との関係性で社会的なストレスを受けることなく、この欲求を満たすことができます。
大自然の中で、自給自足で暮らしている方などはこれにあたるでしょう。
しかし、それでも電気や水道など、ある程度人とかかわるのではないでしょうか?
それゆえ、収入が増えるほど満足が高まるかというと、その人の生活の中でいかに自己評価を満たしているかということの方がウェイトが高くなり、年収2000万円でも幸福感がとても低いということがあったりします。
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昔の日本では幸福は得られやすかった
現代のわれわれは、社会的に閉塞感を感じています。そして、それを少しでも打開しようともがいているというのが実際のところでしょう。
ところがスルガ銀行のような、ほとんど騙しに近いことまで横行しています。
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戦後の日本では、同じように勝つか負けるかの厳しい時代であったはずです。同じように幸福感は得られにくかったのでしょうか?
この本によると、
幸福を約束する商品と買い続けるという期待 が幸福をもたらす ととある社会学者が言っているとしています。
そして豊かな家庭生活を得ることが幸福の象徴でもあったので、冷蔵庫、テレビ、マイカーなどなど、商品と買うという目標と、得られた場合に容易に幸福が得られたのです。
社会が高度経済成長期にあったため、社会全体に頑張って働いていたらそれで給与が増えるという期待感があり、仮にその時点では貧しくても頑張れるという夢がありました。そして、頑張った後に物質を買うことで報酬を得る。
幸福感は得られやすかったのです。
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バブル時代までは、本当にそういう時代だったようです。
コンパの後に女性にタクシーで帰らせる。一万円札を2,3枚握らしたそうです。
この時代を経験している世代は、今の50歳代前後以上でしょう。
彼らは、特段苦労しなくても幸福感を得ることができました。そして期待を持ち続けられました。
そのあと日本は失われた20年を経験するわけです。
新卒でも就職が決まらない、正社員の枠はより限られている。派遣で働くと仕事がきつくても給与は低い。それどころか数年おきに場所が変わって、もちろんボーナスや昇給はない。物質的な欲求を再度必要とするようになっています。
しかし以前のように、家電などは各家庭に当たり前にあります。これでは欲求は満たせません。かわりに多くの人が、社会的な承認欲求が満たされることを望んでいます。
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ところが時代は縮小に向かっています。
昔のように、我慢していれば道は開けるの時代ではありません。昇給はおろか、解雇、給与同じで仕事が増える(実質減給)、休日サービス出勤。
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社会全体で、全員で希望を分け与えて余るほど、幸福の総量がないということを意味しています。
なので、幸福の奪い合いが起きているのです。
ところが今の50代以上は、昔の良かった時代を享受しつつ、さらに多くの会社で支配者側の年代に立っているため、自分だけは取り分を離そうとしません。むしろ人を貶めてでも、自分は厚顔にも利益を得ようとしている人が多く見受けられます。
もちろん、この年代でも素晴らしい方はいっぱいいます。
でもそれを感じさせないほど、悲惨な事件が後を絶ちません。
アメフトの件といい、カケ学園といい、スルガ銀行といい。
社会全体で幸福にならないとどうなるのか?
それもこの本に書いてありました。
自分には幸福が手に入らないことを自覚すると、
幸福追求を諦めてしまった人たちも出てきます。彼らは自分の不幸を埋め合わせるために、他人の不幸を望みます。幸福に見える人のミスを見つけ、足を引っ張る傾向が強まっているように見えます。
納得。
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年代による幸福度はどうなっているのか?
また年代による自然経過も気になります。
通常20代の幸福度は高いようです。
男より女の方が満足度は高いようです。
ただ、20歳前後をピークにその後下降をたどるようです。そして40歳前後を底にして、60歳ごろに再度回復するU字型のカーブを描くようです。その後の高齢時代は、ゆっくり上がる人と下がる人と。ここは個人によるようです。またマクロでみると、結婚をピークに1年後までま幸福感は高いようですが、その後ガクンと幸福感は下がるようです。子供が生まれたら、「精神的」幸福感は満たされるものの、「生活的」幸福感は地に落ちるようです。
つまり子育て中の30歳から45歳くらいの家庭の男子が、社会全体で最も幸福度が低いということを意味します。
実際仕事でも重圧で、家庭でも奥さんからの重圧が。。。
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実は投資を始めるのもこの年代が多いのではないでしょうか??これは自分たちなりの幸福を得るための手段として、将来アーリーリタイアを目指すという期待感を得るために、投資を選択している。そうとも言えます。
もちろん、同年代で投資をしている人は10%未満であることも重々承知しています。マイノリティです。でももしかするとそれは投資に向かうだけの体力が残されていないからではないか?
これらの人に投資の重要性をただ解くだけでは、「何のために?」という動機づけが弱いのです。
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ただ一言言えるのは、最もつらい立場にあるこの年代の男の将来のためにやっている。
われわれの時代の幸福感は、社会的な承認の欲求によってしか得られません。
ではこの年代はどこで承認を得ればいいのでしょうか?
職場? 家庭? SNS? 各先人たちのブログを見て、自分の行動に自信を持つこと、そしてその仲間でネットワークを作ること。
時代は恐ろしく、アメフトを見てわかるように、監督とか言われる人や、私の場合は教授など、自分のために簡単に若者の未来を売り渡します。
自分のことは自分で決めて、近い考えの人達と行動を共有する。これしかないでしょう。
そして幸福感が回復してきた50歳になったら、自分で使える時間を回復させるためにセミリタイアをする。
そして後輩たちに言いたい。
「30代は苦しい時期だけど、友人を大切にして、そのころから自分の行動に責任をもって、実力と実績をためておくことが大事だよ。」
お粗末様でした。