管理人です。
今年も終戦の日を迎えました。
戦争で亡くなられた多くの方々に敬意と哀悼の意を表します。
お盆休みは、日本人にとっては特別な意味を持ちます。
どのテレビを見ても、8月6日の原爆投下の日を境に、終戦の日まで、戦争に関する番組や話題など、急激にシフトし、語り部の話を聞くことができるようになります。
逆におろかなこと、一年のうちこの時期しか、このことについて考える時期を今の日本人は持ち合わせなくなっています。本当に今だけ、期間限定 笑
語り部の話も良いのですが、「戦争は悲惨だ、いかなる理由であれやってはいけない」で話が完結してしまっているのです。もったいないし、本質の一部でしかありません。
いかなる理由で、いかなる社会情勢であのような悲惨な戦争を引き起こし、あのような形で過ちを止められなかったのかという、歴史と糧に得るものについて考えないといけません。
<広告>
アメリカでは、資料館なるものは悲惨さよりも英雄にばかりスポットライトを当て、美化しています。一方欧州では、ナチスの強制連行を含めて暗澹たるものがあり、むしろ目を背けないように、資料館などが多数存在します。そこでは、目を覆うような描写さえもが、厳しくも存在します。
これらに一緒に行った同僚ですが、以前にアウシュビッツに行ったことがあると言っていました。館内は筆舌に耐えられるものではなかったようです。
ポーランド人でさえも、これをどう扱うかを本心では決めかねるほど千三なものであったようです。入館に年齢制限と、親の同意がいるとのことでした。
<広告>
ノルマンディー上陸作戦のメインはカーン攻防戦だった
私はこのノルマンディー、とくにバイユーの資料館に行って初めて知りました。
カーンの町の写真です。
カーンの駅は6ホームくらいある、地方の中核都市です。
なのに、駅の回りの建物があまりにもない。
建物が新しすぎるのです。
街中の写真を取り損ねましたが、建物が新しすぎるのです。
ノルマンディー上陸作戦は、D-DAYとよばれる、1944年6月6日の暴風の日に決行されました。当日はドイツ軍の指揮官、ロンメル元帥が不在という状況でした。というのもあまりの悪天候に、連合軍の進駐はないと思い込み、ドイツに一時帰国していたようです。
<広告>
アイゼンハワーは、勝てば官軍でしょうが、実際には悪天候で最悪だったようです。兵士たちは船酔いの上に、連合軍に進行に気がついたドイツ軍の反撃で、上陸できないまま沈んだ艦船や上陸艇、兵士は多数いたようです。
連合軍はノルマンディーのいくつもの浜を上陸地点と定め、各国で担当を決めました。これらの浜は、バイユーとカーンの間に広大に広がり、どちらかというとバイユーよりです。
たた市街地からは比較的離れているので、観光しに行くときには、あらかじめ車や自転車の手配が必要です。
上陸だけでも何時間もかかって、損害も数えきれないほど。その上に数で勝ることから物量で押し入っていったようなものでした。
ロンメルが不在であったのも、ここまでは連合軍についていたようです。
<広告>
ここから何カ月も続く地上戦が始まった
バイユーの市街地です。
小さな町ですが、素敵な大聖堂があります。中には、ローマ帝国時代の資料なども残っていました。
ということは、戦禍を逃れた街なのです!
本当は、米軍があっという間に占領してしまって、ほとんどここでは抵抗を受けなかったため、町が残ったのです。
一方のカーンは、連合軍にドイツが抵抗する拠点となったため、ものすごい洗車を含めた市街地戦闘になったようです。
このころのドイツ軍の戦車はなかなかにパワフルでした。一歩も引かないうえに、人知も強固に構築されていました。簡単には米軍でさえも進めなかったようです。連日のカーンの町への空襲を連合軍は決断します。投下された爆弾の量は、雨といわれたほどのようです。それでも、カーンは堕ちない。
<広告>
アイゼンハワーは、広報陸地内からの補給があるためだと考え、カーンを迂回して、奥地の侵攻に取り掛かります。カーンは孤島として取り残されました。
スターリングラードの戦いと同じ様相を呈しています。
それでもドイツ軍は抵抗したようです。両軍含めて、あり得ない数の死傷者と、フランス国内への消せないほどの傷跡を残して、、、
そしてカーンは廃墟の町となりました。ここまで2か月もかかったようです。
今の町は、新しい街です。
メモリアル・ド・カーンは小高い丘の上に忽然と存在します。
そこの国旗の中には、今ではドイツも並んでいます。
<広告>
われわれは何を考えないといけないのか
欧州に仕事や旅行で行くたびに思います。
彼らはヨーロピアン同士で中世、いやもっと前から争ってきた。そして世界大戦という形で、アジアやアフリカなど他国(植民地)を巻き込んだ戦いをやってしまった。
いまでも世界の覇者は欧州民族なのだと。
われわれの日本史に、南蛮人という記載で外人が出てくるのは戦国時代くらいからです。中国ではもっと前から意識されてきたはずです。
アメリカが今の世界の覇権を持っていますが、これもはっきり言ってヨーロピアンです。生活様式を含めて。もっとも欧州でも彼らのことをアングロサクソンと、やや嘲笑的に言うようですが笑
人種差別的な発想で行っているわけではありません。
実際に欧州に住んでみると、完全に人によりますが、人種でレッテルを張られて悔しい思いをすることがあまりにも多くあります。
ドイツの元代表エジルの件などは、本当に端的にこの問題を表しています。
<広告>
では、みなさんいつからヨーロッパに移民が入りだしたのか、米国で差別が強烈になったのか知っていますか?
それと植民地支配の構図を掛け合わせて歴史を知る必要があります。
世界の現実はこうなのです。もちろん、その壁を越えて融合していこうという流れも実際にあります。でも、トランプ氏が全てぶち壊してしまいました。
日本人は教育の間違いのためいまだに勘違いしています。
戦争が悲惨だからという理由のみで、世界における争いをなるべく収束するように、各国が動いていると。
本当は、それだけではありません。
支配され、支配し、搾取し、搾取されてきた者たちの自立のための戦いなのです。
そういう意味では、北朝鮮が言っていることにも一理あるのです。
簡単に明け渡すとただただ米国含む世界の秩序という名の人種に支配される。
閑話休題
<広告>
日本は、鎖国をしてきたこと。そして江戸末期から明治時代にかけて急激に西洋文化を取り入れ、ただしその時期に植民地化を珍しくおけなかった(!!) そういう意味で珍しい国家なのです。
中国に先駆けて近代化し、ロシアとの戦争に勝ち、なんだかアジアの中の最強になってしまった。それ以降調子に乗ってしまった。。
しかしそのころの日本人は、世界の中での自分たちの位置を、間違いながらも常に意識していたと思います。残念ながら、世界はまだ人種の問題を乗り越えられていないのです。言葉も違いますし。。。
では翻って今の日本人はどうか?
戦前と同じように、考えかたを統一することを強制されてやしないか?そしてそれに甘んじていたり、疑問を持たなかったり、自分を知る努力を忘れてはいまいか?
私にとっては、今の終戦の日は、悲惨さを思い出す比ではなく、より世界をよく知る必要があることを思い出させる日なのです。
では。