リウマチ界のNew England Journalともいうべき雑誌、言わずと知れた
Annals of the Rheumatic Diseasesにある記事を見ました。
この最高峰の雑誌に、近未来についての記事が載っていました。
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Thinking the unthinkable
オープンアクセスなので、是非読んでみてください。
10年後の未来のRheumatology。 ある意味SFです。
Sandy(架空の女性)が、少し前からの手の痛みを感じ、自宅にあるスマートスピーカーに問いかけるところから始まります。
腫脹関節などは、自宅のカメラから自動的に取り込まれ、カウントされます。
ウェアラブルデバイスを用いて、Sandyの身体情報は常時計測され、体内に埋め込まれたデバイスにストックされています。
スマートスピーカーからされたいくつかの質問に答えると、ビッグデータを参照し、どうするべきかを指示してくれます。
指示にしたがい、Sandyは自宅近くのスーパーに買い物に行き、その際に玄関にある小さな医療ブースに向かいます。そこで、自動的に現在ストックされている自己データの吸い上げと、自動的なごく少量の採血を行われます。
何を計測するかの選択も自動でなされます。検体は自動でセンターに収集され、少しの時間の間に結果は配信されてきます。
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スーパーで買い物をすましている間に、結果は出そろいまして、コンピュータによる自動診断がなされます。
・・・99%の可能性で関節リウマチであると。
既往歴なども、自動的に考慮され、続いて治療オプションが表示されます。
・生物学的製剤Aの使用
・B低分子治療薬の使用
・AとBのコンビネーション治療
・遺伝子情報から得られた情報から、自己に特異的なT細胞レセプター抗体を作成
これらの選択肢には、各治療のメリットとデメリット、期待値が表示される。
費用も考えて、Sandyは自分で自分の治療を選択する。
選択に合わせて、自動で薬剤が自宅に届けられる。
服用のタイミングもスマートスピーカーが教えてくれ、確実に服用したか確認される。
治療の経過なども、コンピューターにより管理される。
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コンピューター技術の発展によって不要になる部分
ゲノミクスや翻訳技術などの進歩、データの集積による自己学習の発達により、
””よくある事象””については、おそらくどんどん判断されるようになります。
人間の医師は、各個人が別々に経験と知識をインプットしていかないといけません。
つまり、1個ずつ個別生産です。
それに対し、コンピュータはオリジナルを作成すればコピーは簡単に作成できます。つまり大量生産です。
人間だと忘れたりもしますし、担当者が変わるといちからやり直しになるものですが、コンピュータでは、すべて記録済みで後戻りはありません。
新規情報を入れ続けるだけでよいのです。
人間にとって対抗できないハンデを、記録という領域つまり知識に持つことになります。
どの領域でもコンピュータの方がよく知っている。
これって怖いことですよね・・・・
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では人間にしかできないことは何か、逆に何が残るのか?
医師に限定した話ですが、これは全業種にかかわる話です。
例えば、薬剤師。
少なくても処方箋薬局に関しては、オートメーション化が容易なはずです。
現在は各商品のPTP包装が異なるため、一包化するにしても今は人力ののちにパッケージしています。しかし時期にそれも機械化するでしょう。
薬物の相互作用や禁忌のチェック。
これは完全に知識によって成り立っています。
相互作用や年齢、臓器機能を考慮に入れた処方は、医師の判断によって、薬剤師は指示通りに業務を遂行します。
チェック機構として薬剤師がはたらくのは、医師がうっかりイージーミス(14日分と28日分など処方日間違い)と、あまり知らない部位の薬を患者の求めに応じてしぶしぶ出した時くらいです。
どちらにしても、業務自体が知識によって成り立っていることと、データベース化しやすいので、コンピュータにかないません。
より専門的な薬剤師である、抗がん剤などは比較的残ると思われますが、調剤薬局などはコンピュータを入れたら終わります。
薬剤師の未来はあやうい?!
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看護師は、感情に関する部分を多分に含むので、しばらく残ると思われます。
介護ロボットと母性とが進化し、合体したら看護師も危ういかもしれません。
医師に関して。ここが本題です。
論文にも書いています。
イージーな、典型的な症例では、おそらく治療法が画一化されると思われます。したがって、そこに携わっている医師は淘汰されることが予想されます。
つまりは一般医といわれたり、初療のみに従事している開業医などは確実に役割が減少します。
一方、合併症などの複雑な症例、非典型例では、コンピュータが機械学習である以上、いかに1例報告などを学習しても、匙加減は計算できないと考えられます。つまり、かなりのエキスパートは、今後もオピニオンリーダーとして永らえていくし、彼らが作ったデータから機械が学習していく。そんな構図になりそうです。
開業医さんたちは、地域と介護に根差すしかないのかもしれないですね、。あえていうならば、人の感情に根ざす仕事なら生きていけるかもしれません。今のように薄利多売で稼ぐことは難しくなります。
ところが、、、そこに人材関連法案で決まったように、移民をうけ入れようとしています。日本人の仕事できる枠を自分たちで捨ててしまうということです。
未来は、コンピュータ v.s.人間 の仕事の奪い合いなのに、政府はその前に日本人以外に分け前を与える。。。。。
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それと比較して、勤務医はどうでしょうか?
勤務医の仕事は人口減少と相まって、仕事が激減する可能性があります。当直業務も今よりもシフト制を取りやすくなっているのではないでしょうか?
仮に
エキスパート → 真に専門的なチャンピオン症例の対応
専門医 → 典型より外れた、標準偏差くらいの症例の対応
専攻医 → エキスパートの道を目指すが、過当競争の上に、これまでは最も初めに経験するような簡単な症例がコンピュータに奪われてしまうため、自己研鑽のための症例集めに苦労する
このようなピラミッド構図を思い浮かべました。
会社員と同じですね。 いかに立場を上げるかに注力する必要がある。
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そう考えると、
とある同門の先生が言っていました。
「最近の研修医は、勉強ごとより、勉強をせずに手技ばかり経験したがる」
われわれの感覚からすると、手技を学ぶためにも勉強がいるので、勉強や経験に基づく考察なしに経験した手技は、泡沫となって消え去る。
でもその感覚はもはや古いのでしょうね。
最近の若者は、これからの時代の変遷を身近に感じていて、同級生よりも抜きんでるために手技を経験したがる。 そう考えれば合点がいきます。
翻って、逆に医療人の未来の役割は、人類の健康のために機械に任せられる部分は機械に任せて、未来を切り開き新しいことを見つけることなのかもしれません。
機械に教えられるくらい、自分自身は最先端にいないといけない。
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医療の分野だけにかかわらず、科学全般にまるでビッグバンのように知識は拡大していいます。ヒトが一人の能力で、すべてを把握、理解するのはもはや不可能です。言い換えれば、だれもが驚くような新発明は生まれにくいくらい、科学は発展しましたが、逆に誰もが目の前に小さなNeuesを抱えていて、誰もが見つけることができる。そんな時代かもしれません。一つの小さな手技にもNeues。
未来は役割が変わって、よりきめの細かい医療が受けられるようになっているのかもしれません。
私も変革にとり残されないように頑張らないと。