管理人です。
また久々になってしまいました。
今日も雑感ですが、論文といわれるものについて、遅ればせながら気づいたことが多々ありまして。
学術論文は科学の偉大なる進歩ではなく、虚なものになってしまった
皆さまもご存知のことと思います。いわゆる論文といわれるもののことを。
ただし、その内容、扱われ方、意義、裏の意味などまで熟知する人は、ごく一部なのではないでしょうか?
学会、学術界というところは、とても奇怪なところでして、論文といわれるものは、「積み重ねてきたことの結果を世に示す」という、基本的な部分をはるかに超えた挙動を示すものになっています。
記憶に新しい、新型コロナウィル関係の論文。
ばたばたと投稿され、掲載され、各国がウィルス対策を決める際の道しるべになってきました。しかしそれらが次々と取り下げになっているのです。
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震源地の中国では、兎にも角にも世界初の成果を示すべく、新たな薬の人体実験風のデータのとり方や、うそのデータの採取、さっさと乗せるための捏造、何でもありだったようです。
これは欧米でも同じで、本来ならコロナで死にゆく人たちと接するのが精いっぱいで、データを取るとか、書き物をする時間はなかったはずです。
これでお判りでしょう。
論文という成果は、
これまでの努力の結晶 ではなく、 自分に実力があるかのように見せるための虚 として使われるようになっているのです。
取り下げ論文の主たち、掲載された論文による名声により、新たな職を得ようとするもの、栄転をもくろむもの、薬により利益を得ようとするもの、魑魅魍魎です。
研究者本人たちだけではありません。周りの製薬等も、乗っかかって、ビジネスチャンスとしてやっています。
何度も言いますが、論文はお金のために取引されるようになってしまいました。
目的が論文、という組織を私は数多知っています。
内容や、正確さ、他者への影響など、最も公正さを大切と考えるべきところをすっとばして運営される組織。いっぱいあります。
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主従が逆転してしまった、現在の論文といわれるものに対する情熱を、私はもはや失っていまいました。
論文は不正の温床だが締め付けるとかえってまじめな人に負担がかかる
私は論文を書くということを、それなりにやってきました。
それなりに自分の同僚よりは頑張ってやってきました。
そのなかで、この10年はずっと逆風でした。
というのも、製薬企業と大学教授に癒着による不正論文などが数々明るみになってきたからです。
http://dl.med.or.jp/dl-med/doctor/member/kiso/h12.pdf
彼らはお金のために正義を売っていました。
彼らは不起訴で、年齢的にも定年、逃げ切っています。
結果として、現在の研究者たちに負担がかかってしまっています。
倫理審査、それだけで金のない研究者は自腹を切ります。
臨床研究法、手続きだけで研究の数倍の時間を取ります。
大きなデータを取ろうとすると、保険に入らないといけないので、保険会社ばかりがもうかります。しかもネット入力でないと、書き換えがあるということで、サーバー使用料もかかる。
まじめな研究者には、正規ポストも、お金も、時間も、手伝ってくれる人もいないんです。
現在の教授といわれる人たちは、研究はただの虚でいいので、やっている振りでいい。誰かにさせて、結果だけ、中身は二束三文。
パワハラの温床になる。
彼らは、製薬会社から講演料などをせしめて、実は何にもない。
何だ、座長講師って。 開会の辞を言うだけでうん万円のギャラ。
どうして実際しゃべる人よりも高いんだ?
しゃべる人も、講演料で魂を売っている。
講演料の開示サイトはこちら、。
研究は、やってるふりでいいし、出来上がったものは、お金を得るための実弾になる。
必死にまじめな研究者がやったことが、他人の肥やしになる。
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その成果を見せかけでも作ることで、自分が評価され偉くなろうとする、そんな輩も増えています。
それがコロナ論文たちの闇です。
嘘でも出してしまえば、価値が出る。
中身なんてわかんない。そんな世の中です。
逆に出版社も、投稿料を取って、研究者を餌にしだしました。
www.orthopaedicrheumatologist.com
私はこの無意味なチキンレースから降りることにしました。
正しいことをやるためにと、我慢を続けてきて、自分の論文が全く手伝いもしない人の名前を入れるように、教授に指示され、我慢してきました。
でも、また他人の研究を代わりにやることを命じられ、何かが私の心の中で切れました。この組織とは縁を切る。
さようなら。
むしろようやく闇から解放された気分です。(笑)