リウマチ外科医の徒然草

より良く生きるための抜け穴探しのゆる~いブログ

豆苗がもったいなくってベランダで植えたら種ができた そしたらグリンピースの種だった

整形外科学会は本日まで。

でも休日家族サービスをさぼると、その分結果は論文よりも早く自分に帰ってきます。

Editor's Kickに勝つダメージを負うのは、嫁キックでしょうか笑

 

今日は学会に行くのを諦め、自宅で子供と過ごしています。

寝ている間に、ベランダの家庭菜園を久々に手入れしました。

 

豆苗の種は何の種?

 

皆さん豆苗を食べられたことはおありでしょうか?

www.murakamifarm.com

 

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これです。100円前後で、炒め物などにぴったりな青菜です。

もやしと同じく若芽なので、シャキシャキして柔らかくおいしいです。

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投資とアーリーリタイアと幸福論。 投資初心者の年代の幸福度を上げるために

最近、時間ある時にゆっくりと読み進めている本があります。

 

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やさしい行動経済学 (日経ビジネス人文庫) [ 日本経済新聞社 ]
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この本は文庫で小さいのですが、ぎっしりと英知が詰まっています。

 

私はこの中で幸福論という部分にとても興味を持ちました。

 

 

”投資家たちが何のためにアーリーリタイアを目指すのか?”という核心部分を、論理からも理解しておくことは、おそらく自分への過度の投資へののめりこみを防ぐことができるかもしれないと思っています。

 

というのも、

「お金を得ることだけが目的になってはいけない」と固く信じているからです。

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収入と幸福は比例するのか?

 

すでに知られていることですが、収入がある程度一定を超すと満足度は横ばいになるといわれています。これは私が以前書いたように、収入から税金を計算すると、高収入ほど、自分の労力に見合う所得が得られなくなるという話もありますが、どちらかというと別の側面の方が重要です。

 

一定の収入までは、「生理的欲求」の充足を求めるといわれるようです。

いわゆる衣食住や、社会保障などによる自身の安全を求めるということです。

 

日本では、社会保障はある程度充実していますので、生活保護を含めて食っていくだけならば、手続きさえできれば満たされることになります。住居も与えられて、安全も警察によってある程度まで保証されています。

 

 

そのあとは、「自己評価欲求」を満たすことを人は求めるようです。

 

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自分で自分の評価を絶対評価でできるならば、他人との関係性で社会的なストレスを受けることなく、この欲求を満たすことができます。

 

大自然の中で、自給自足で暮らしている方などはこれにあたるでしょう。

しかし、それでも電気や水道など、ある程度人とかかわるのではないでしょうか?

 

 それゆえ、収入が増えるほど満足が高まるかというと、その人の生活の中でいかに自己評価を満たしているかということの方がウェイトが高くなり、年収2000万円でも幸福感がとても低いということがあったりします。

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 昔の日本では幸福は得られやすかった

 

現代のわれわれは、社会的に閉塞感を感じています。そして、それを少しでも打開しようともがいているというのが実際のところでしょう。

ところがスルガ銀行のような、ほとんど騙しに近いことまで横行しています。

 

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戦後の日本では、同じように勝つか負けるかの厳しい時代であったはずです。同じように幸福感は得られにくかったのでしょうか?

 

この本によると、

幸福を約束する商品と買い続けるという期待 が幸福をもたらす ととある社会学者が言っているとしています。

 

そして豊かな家庭生活を得ることが幸福の象徴でもあったので、冷蔵庫、テレビ、マイカーなどなど、商品と買うという目標と、得られた場合に容易に幸福が得られたのです。 

 

社会が高度経済成長期にあったため、社会全体に頑張って働いていたらそれで給与が増えるという期待感があり、仮にその時点では貧しくても頑張れるという夢がありました。そして、頑張った後に物質を買うことで報酬を得る。

幸福感は得られやすかったのです。

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バブル時代までは、本当にそういう時代だったようです。

コンパの後に女性にタクシーで帰らせる。一万円札を2,3枚握らしたそうです。

 

 

この時代を経験している世代は、今の50歳代前後以上でしょう。

彼らは、特段苦労しなくても幸福感を得ることができました。そして期待を持ち続けられました

 

そのあと日本は失われた20年を経験するわけです。

 

 

新卒でも就職が決まらない、正社員の枠はより限られている。派遣で働くと仕事がきつくても給与は低い。それどころか数年おきに場所が変わって、もちろんボーナスや昇給はない。物質的な欲求を再度必要とするようになっています。

 

しかし以前のように、家電などは各家庭に当たり前にあります。これでは欲求は満たせません。かわりに多くの人が、社会的な承認欲求が満たされることを望んでいます。

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ところが時代は縮小に向かっています。

昔のように、我慢していれば道は開けるの時代ではありません。昇給はおろか、解雇、給与同じで仕事が増える(実質減給)、休日サービス出勤。

 

 

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社会全体で、全員で希望を分け与えて余るほど、幸福の総量がないということを意味しています。

 

なので、幸福の奪い合いが起きているのです。

ところが今の50代以上は、昔の良かった時代を享受しつつ、さらに多くの会社で支配者側の年代に立っているため、自分だけは取り分を離そうとしません。むしろ人を貶めてでも、自分は厚顔にも利益を得ようとしている人が多く見受けられます。

 

もちろん、この年代でも素晴らしい方はいっぱいいます。

でもそれを感じさせないほど、悲惨な事件が後を絶ちません。

アメフトの件といい、カケ学園といい、スルガ銀行といい。

 

 

社会全体で幸福にならないとどうなるのか?

 

それもこの本に書いてありました。

自分には幸福が手に入らないことを自覚すると、

幸福追求を諦めてしまった人たちも出てきます。彼らは自分の不幸を埋め合わせるために、他人の不幸を望みます。幸福に見える人のミスを見つけ、足を引っ張る傾向が強まっているように見えます。

 

納得。

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年代による幸福度はどうなっているのか?

 

また年代による自然経過も気になります。

 

通常20代の幸福度は高いようです。

男より女の方が満足度は高いようです。

 

ただ、20歳前後をピークにその後下降をたどるようです。そして40歳前後を底にして、60歳ごろに再度回復するU字型のカーブを描くようです。その後の高齢時代は、ゆっくり上がる人と下がる人と。ここは個人によるようです。またマクロでみると、結婚をピークに1年後までま幸福感は高いようですが、その後ガクンと幸福感は下がるようです。子供が生まれたら、「精神的」幸福感は満たされるものの、「生活的」幸福感は地に落ちるようです。

 

 

 

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 つまり子育て中の30歳から45歳くらいの家庭の男子が、社会全体で最も幸福度が低いということを意味します。

実際仕事でも重圧で、家庭でも奥さんからの重圧が。。。

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実は投資を始めるのもこの年代が多いのではないでしょうか??これは自分たちなりの幸福を得るための手段として、将来アーリーリタイアを目指すという期待感を得るために、投資を選択している。そうとも言えます。

 

もちろん、同年代で投資をしている人は10%未満であることも重々承知しています。マイノリティです。でももしかするとそれは投資に向かうだけの体力が残されていないからではないか?

 

これらの人に投資の重要性をただ解くだけでは、「何のために?」という動機づけが弱いのです。

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ただ一言言えるのは、最もつらい立場にあるこの年代の男の将来のためにやっている。

われわれの時代の幸福感は、社会的な承認の欲求によってしか得られません。

 

 

ではこの年代はどこで承認を得ればいいのでしょうか?

職場? 家庭? SNS?  各先人たちのブログを見て、自分の行動に自信を持つこと、そしてその仲間でネットワークを作ること。

 

 

 

時代は恐ろしく、アメフトを見てわかるように、監督とか言われる人や、私の場合は教授など、自分のために簡単に若者の未来を売り渡します。

 

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自分のことは自分で決めて、近い考えの人達と行動を共有する。これしかないでしょう。

 

そして幸福感が回復してきた50歳になったら、自分で使える時間を回復させるためにセミリタイアをする。

 

そして後輩たちに言いたい。

「30代は苦しい時期だけど、友人を大切にして、そのころから自分の行動に責任をもって、実力と実績をためておくことが大事だよ。」

 

 

お粗末様でした。

杉村太蔵が年間配当金2000万円⁉ 彼にもできるなら自分もと思わない方がいい

管理人です。

 

昨日テレビを見ていて、衝撃の事実を聞きました。

すでに何年も前から公開されていることのようですので、いまさらですが、投資のコンセプトを含めて、あらためて見直してみることにしました。

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彼はもう5年ほど前になりますが、集中投資と売却で500万円の元手を2600万円にまで増やしているそうです。普通は分散投資をしてリスクを取らないように一般人はするところで、東京オリンピックをにらんで建設業に集中投資したとのことです。

 

これ自体はややギャンブルとも言えますが、そのコンセプトが大事です。

 

「僕の投資スタイルは、大きな政治の流れから、株価がどう反応するか予想するところからスタートします。そして、確信をもって一点集中すること。一昨年11月の段階で予想されたのは、円高から円安への転換でした。そこで、 円安の恩恵をいちばん受けるのはどの業種かを考えた。逆にいえば、野田政権下でもっとも苦しんだ業種は何か。僕からみて、いちばん気の毒だと思ったのは自動車業界です。円安に転じれば確実に輸出が増える。だから自動車株を買ったわけです」』(引用元:現代ビジネス http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38253

 

 

 

 なるほどです。

彼は衆議院議員であったこともあり、その視点を持つことができるのですね。これはわれわれのような一般人にはむつかしいところだと思います。

 

でもできるだけ大きなマクロ視点を持つことができれば、超長期逆張り投資にも有効かもしれません。

 

もう一つ有効な手段をしているようです。

『買った株が値下がりすると損をしたとお思いでしょう。確かにそうですが、下がったときこそ買い増しのチャンスなのです。私が今回のアベノミクス相場で、資産を1000万円以上増やすことができたのも、株価が下がったときにコツコツと買い増しをしたからです。』(引用元:NEWSポストセブン http://www.news-postseven.com/archives/20130816_204920.html

 

ナンピン買い、ですね。

投資歴は15年くらいはあるようです。

 

 

ただ、これは下落局面ではかなり危険な賭けになります。含み損が大きくなりすぎて、損切りすらできないという体力的に限界を迎える可能性も否定できません。

 

これらの結果が年間2000万円

 

ここまでくると、彼はもうテレビ出演はいらないのではないかとすら思えるくらいです。月間の不労所得が160万くらいあるということです。

 

 

 仮に年間4%で回っていると仮定しても、

2000万÷0.04≒50000万??

 

 

 

 

杉村太蔵をあほキャラでみるのをすぐにやめた方がよさそうです。ww

 

 

 

 

 

 

休日労働をしてでも積み上げたものが本当に勝つのか?それは自明の理でない気がする

やっと週末になりました。

なんだか多忙な1週間だったように思います。

いちリウマチ医がリウマチ医としてどうあるべきか、存在意義について考えさせられる1週間でした。

 

 

ともあれ待ちに待った週末です。

仕事などはOFFしたい というのが、本来の自分の心の声です。

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もちろん、アーリーリタイアは目指しますので、勉強と実践に向けた営みは続けますが、以下のようなものはできれば避けたいところです。

 

 

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勉強に行く時間が週末にしかないというのもよくわかるのですが、ここ5年ほどはこういうものが乱立しておりまして、毎週末どこかしらいかなければいけないという状況が続いていました。それだけでなく、身内の会なども平気で平日ではなく週末のGoldenTimeに突っ込んできます。

 

このような会の案内をもらうときに、断るのが申し訳ないという気持ちと、上記の自分の時間を失う残念な気持ちが交錯します。

 

また同時に、自分に案内を持ってこられた担当者さんも顔出しするように下命されるのがわかりきっているので、むしろ「行けたら行く」とはいわず、即答で「行かない」とはっきり言ってあげた方がよいのではないかと思ったりもします。

 

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われわれの業界以外では、週末に給与も発生しない業務外の自主的活動という位置づけのイベントについてはどう考えられているのでしょうか?

私を甘いと思う方も多くいるでしょうし、正直なところ、世間ではどのように考えられているのかを知りたくなりました。

 

法的側面から

roudou-pro.com

 

休日出勤に対しては割増賃金や代休などの代わりの対価を提供しなくてはなりません。 (労働基準法37条)

 

 「休日に労働させた場合においては、割増賃金を支払わなければならない。」

 

とあります。

ということは、仮に賃金が支払われていても、時間外として通常通り時間給を払うでは対応として十分でなく、さらに代休を請求できるということになります。

 

さらにわれわれの業界でよくおきていることですが、形上”自主的な”会合はどうなのでしょうか? もちろん主催する上司も来なければいけないのである意味条件は一緒といえば一緒ですが。

強制参加の研修など

研修や懇親会などは会社の休日に行われることも多いでしょう。そのような休日に行われる研修が強制参加になっていたり、欠席したことにより何らかの罰則を受けるようであれば、休日出勤になります。一方、任意であれば休日出勤は当てはまりません。

 

これについては、YAHOO!知恵袋で検索してみました。

 

しかし法律上の相談などが多くを占め、私が知りたい内容の世間における趨勢をみきわめることができませんでした。

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休日出勤はあくまで会社側からの要請

 

 以上のことをまとめると、

 

あくまで会社側からの要請なので、自己都合があったりで出勤を断る権利は労働者側にあるといえます。ただし。。。 会社側からの本人の評価が下がる。

 

最後の一文が問題なのです。

 

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もう週末に会議はやめてください

欧米では、休日を休日として有効に過ごせないようであれば、逆に何かが足りない人と思われるのですが、日本では逆に他のライバルを出し抜くために、あえて嫌な業務をしてスコアを稼ぐ。そう、休日など会合に出席をするということを信条にしている人間も存在します。 私の同僚にもいます。 会社人として生きていくのであれば、これくらい当然!という意見もあることは重々承知しています。

 

 

ただ、私としては必要とされる業務をきちんとこなしている上であれば、週末に任意という形式で行われる生産性の非常に低い会議などを、欠席しても問題はないと思うのです。 これが部門全員で形作るプロジェクトというのなら、 もちろん喜んで準備から引き受けます。 ただ形式的に月に一回行うなどという会議はもう御免です。 

 

時々、私にこういう人がいます。

「顔見せ」をしておいて、えらい人に自分の存在を知らせておくことが大事なんだよ。

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もはやうんざりです。

 

人間、自分のやってきたことの積み重ねで形成されます。

「積み上げ」が休日出勤によるポイント稼ぎだなんで、そんなさみしい時代はもう終わりにしてほしいのです。

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我が家の場合、奥さんもそのような任意の「ポイント稼ぎ」にはいかなくてよいと、断言してくれているので、大手を振って、家で自分のことをさせてもらいます。

 

では。