リウマチ外科医の徒然草

より良く生きるための抜け穴探しのゆる~いブログ

もしかすると人生の断捨離をすべきタイミングにたどり着いたのかもしれない

管理人です。

今日は自分の中でまだ答えが出ていないことについて、このブログ内に書き出してみることにした。

 

それは自分の未来の在り様を自分でもわからないということです。

平たく言うと「自分がどうしたいのか」がわからないということです。

 

 

迷い自体は、この2カ月くらい、ずっと心の中にありました。そしてふとした時に心にもたげてくる。そんな日々でした。究極に個人的なこの話題は、自分の中から外に漏れ出ることを禁止されていました。

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そんな中で目にしたこの記事。

www.zinseitanosiku.com

 

 

年代こそ少し私の方がおっさんですが、悩み・迷っているであろうこの心の中が、私の中にあったやせ我慢を溶かしました。

 

本当は、加えて自分の誕生日や、お盆で同級生と会って、みなそれぞれの人生を歩んでいるのを目の当たりにしたり、多くの出来事がありました。

 

でもようやく、自分の奥からそっと引き出して、外の世界でどんな形をしているのか、自分で眺める決心がつきました。

 

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アラフォーは不惑ではなく迷いまくりである

 

ポイントは、

「しなきゃいけないこと」ではなく「したいこと」が何なのかです。

 

 

20歳代は仕事を覚えるのに必死、30歳代は覚えた仕事で実力を鍛えるじきといわれています。40歳代は、自分がするべき仕事がはっきりとなって迷わない・・・逆です。

 

 

ようやく自分を見つめなおす時間が出てきて、このままで自分はいいのか?本当にこれまでやってきたことがあっているのか?これをこのまま続けていてよいのか?

 

これらの疑問がわいてくるのです。

 

 

 

自分の力で答えを出さないと人生はいかないのです。

思考停止で乗り切るとあとでつけがくるらしい。

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まずは目標を設定する

 

最初にして最大の課題です。

男は自分の仕事と人生を切り離して生きていくことが難しい時代にあります。

 

40代にもなると、ある一定の評価を職場でも得て、自分がどうなるべきなのか。自分がどこまでは行けそうか。 これらが嫌でも目に入ってきます。

 

 

 

 

馬が合わない同僚だっています。

利用しようと悪意を持って接してくる同僚や取引先もいます。

    人生そんなに素直に進むことばかりではありません。

 

友人として過ごしている人も皆が大丈夫とは限りません。

昔、友人にこっぴどく裏切られて、地の底まで落ちたことがあります。

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その中で、ぶれない自分を設定しないといけない。

そのための戦いが40歳代なのです。

今持っているものを捨てることをいとわない。大事。

 

 

 自分らしさをとことん、人生の先に考えてみたところ、望むところが「いかに自由になる」か、「人らしくあるか」であることに気が付きました。

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自分しかできないことをこれまでは増やしてきました。

 

自分が生き残るためにしてきたことは、自分のストロングポイントを伸ばすことだと。かたくなに信じて邁進してきました。

 

ところが、

リウマチ外科医は、学会で同じことをしている全国の老兵(笑)達と話していると、いつも絶滅危惧であることがわかります。

 

もう不要になる分野かというと、私が外来しているのをいつも見学に来る膠原病内科の医師がいます。膠原病内科とは全く違う視点で患者と接していることが、とても勉強になると言ってくれます。(気を使ってるのかもしれませんが)

 

 

これまでを他の人に伝えていく仕事が、最後に私に残された仕事かもしれません。

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そのあとは、これまで培ってきたことから離れて、帰る時がゆるされるまでに猶予の時間があると思います。その間はそれに時間を使おうかと。

 

まあ。こういわれるかもしれませんが、教授職なるものを目指して、途中の道で他人としのぎを削るとか、足を引っ張るとか、私には向いていません。 笑

 

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宮本武蔵は、常に自問自答を繰り返しながら真理に近づいて行ったのでしょうか?

現代人は、その前の有象無象の小事に邪魔されやすいです。

禅でもした方がいいかもしれません。

 

 

これからの道は、断捨離と決めました。

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アポスティーユ:外務省認証 を取るためのワンストップサービス(マニュアル更新)

 

管理人です。

https化のために記事のリライトと更新を開始しました

 

 

留学には必要経費というものがあります。

すでに終えた身ながら、結構かかったなあと改めて思います。現地でどんどん減る預金残高を見ながら愕然としていたものです。

 

各種証明に費用が馬鹿になりません。

  ・ドイツ語公式認証翻訳 ¥16500

  ・アポスティーユ ¥11500

  ・感染症検査(自費) ¥14000

 

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これを苦にせず留学を遂げるために、経験した苦労を備忘録的に記載します。

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まず用意すること

 

どんな書類かにもよりますが、

多くは日本語での証明書類にアポスティーユを付けたい 

のではないでしょうか?

 

例えば、卒業証明(大学発行)に認証をつける、成績証明書に認証をつける、そういった場合です。

 

 

そうなると多くの場合はこれは「私文書」の扱いになります。

 

 

一方、

もし出生証明書が必要で、戸籍謄本を使う時には、「公文書」となります。

 

 

私文書と公文書の扱いの違いは下記になります。

 

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外務省HPより

 

 

 

なあんだ、自分の文書は公文書だから・・・と思った方。

甘いです。甘すぎます。

 

 

公的機関が「英文」証明書を発行してくれればいいのですが、

まずそんな対応はしてくれません。

 

 

 

自分で翻訳するなり、

友人に手伝ってもらうなり、

翻訳業者に出すなりして、

 

「私文書の英文翻訳」を作る必要があります。

 

 

 

なので、原本が何であれ、原本と私文書を合わせて証明することになるので、

どうやっても私文書の証明が必要です!

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私文書の認証には、宣誓書を準備しないといけない。

 

 

私はまずここを吹っ飛ばして、いきなり公証役場にアポなしで出かけてしまいました。

公証役場は遺言書などの認証で、結構忙しいです。

 

かならず前もって電話でアポを取ってください!!

 

 

でさらに、宣誓書を用意していなかったので、困りました。

 

認証は、公証人の前で、宣誓書を用いて証明することです。

 

署名だけ空欄にして文書を用意しないといけません。

 

 

私は・・・ 現地で紙をもらって、慌てて書きました( ;∀;)

 

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この宣誓書が一連の証明書の表紙になります。

 

この書式は、公証人役場によっては、例文を掲載してくれているところもあります。

私はネットで探して、こちらの書式を参考にして、文章を改変しました。

 

ueno-kosho.com

 

とても助かりました。

 

 

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公証人のまえで申請であることを宣誓・署名

 

 

自分の順番が来たら、公証人の前に出ます。

そして、内容・使用目的・などなど 聞き取りののち

宣誓・署名します!

 

 

そのあと、料金を支払い、受取です。

 

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ついに手に入れました!

 

ワンストップサービスおそるべし!!

 

たったこれだけで届きました!

費用は11500円でした。

 

これを業者に頼むと・・・・

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なんだかちょっぴり、いい経験もできて楽しかったとさえ思えました。

 

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あえて時間を節約するという方法もありますが、留学を控えた方というのは、これからの外国生活での生活費用がかさむので、なんとかして費用を節減したいと思うのが自然です。

 

ワンストップサービス、コストパフォーマンスで選んではいかがでしょうか?

では。

 

 

日本における歴史教育はいったい何なのか?明治維新以降の世界とのかかわりの教育量が足りない

管理人です。

 

今年も終戦の日を迎えました。

戦争で亡くなられた多くの方々に敬意と哀悼の意を表します。

 

 

お盆休みは、日本人にとっては特別な意味を持ちます。

どのテレビを見ても、8月6日の原爆投下の日を境に、終戦の日まで、戦争に関する番組や話題など、急激にシフトし、語り部の話を聞くことができるようになります。

 

 

逆におろかなこと、一年のうちこの時期しか、このことについて考える時期を今の日本人は持ち合わせなくなっています。本当に今だけ、期間限定 笑

 

 

語り部の話も良いのですが、「戦争は悲惨だ、いかなる理由であれやってはいけない」で話が完結してしまっているのです。もったいないし、本質の一部でしかありません。

 

 

いかなる理由で、いかなる社会情勢であのような悲惨な戦争を引き起こし、あのような形で過ちを止められなかったのかという、歴史と糧に得るものについて考えないといけません。

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アメリカでは、資料館なるものは悲惨さよりも英雄にばかりスポットライトを当て、美化しています。一方欧州では、ナチスの強制連行を含めて暗澹たるものがあり、むしろ目を背けないように、資料館などが多数存在します。そこでは、目を覆うような描写さえもが、厳しくも存在します。

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メモリアル・ド・カーン

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バイユー 戦争資料館

これらに一緒に行った同僚ですが、以前にアウシュビッツに行ったことがあると言っていました。館内は筆舌に耐えられるものではなかったようです。

 

ポーランド人でさえも、これをどう扱うかを本心では決めかねるほど千三なものであったようです。入館に年齢制限と、親の同意がいるとのことでした。

 

 

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ノルマンディー上陸作戦のメインはカーン攻防戦だった

 

私はこのノルマンディー、とくにバイユーの資料館に行って初めて知りました。

 

カーンの町の写真です。

 

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カーンの駅は6ホームくらいある、地方の中核都市です。

 

なのに、駅の回りの建物があまりにもない。

建物が新しすぎるのです。

街中の写真を取り損ねましたが、建物が新しすぎるのです。

 

 

ノルマンディー上陸作戦は、D-DAYとよばれる、1944年6月6日の暴風の日に決行されました。当日はドイツ軍の指揮官、ロンメル元帥が不在という状況でした。というのもあまりの悪天候に、連合軍の進駐はないと思い込み、ドイツに一時帰国していたようです。

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アイゼンハワーは、勝てば官軍でしょうが、実際には悪天候で最悪だったようです。兵士たちは船酔いの上に、連合軍に進行に気がついたドイツ軍の反撃で、上陸できないまま沈んだ艦船や上陸艇、兵士は多数いたようです。

 

連合軍はノルマンディーのいくつもの浜を上陸地点と定め、各国で担当を決めました。これらの浜は、バイユーとカーンの間に広大に広がり、どちらかというとバイユーよりです。

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たた市街地からは比較的離れているので、観光しに行くときには、あらかじめ車や自転車の手配が必要です。

 

 

上陸だけでも何時間もかかって、損害も数えきれないほど。その上に数で勝ることから物量で押し入っていったようなものでした。

 

ロンメルが不在であったのも、ここまでは連合軍についていたようです。

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ここから何カ月も続く地上戦が始まった

 

バイユーの市街地です。

小さな町ですが、素敵な大聖堂があります。中には、ローマ帝国時代の資料なども残っていました。

 

ということは、戦禍を逃れた街なのです!

 

本当は、米軍があっという間に占領してしまって、ほとんどここでは抵抗を受けなかったため、町が残ったのです。

 

 

一方のカーンは、連合軍にドイツが抵抗する拠点となったため、ものすごい洗車を含めた市街地戦闘になったようです。

 

このころのドイツ軍の戦車はなかなかにパワフルでした。一歩も引かないうえに、人知も強固に構築されていました。簡単には米軍でさえも進めなかったようです。連日のカーンの町への空襲を連合軍は決断します。投下された爆弾の量は、雨といわれたほどのようです。それでも、カーンは堕ちない。

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アイゼンハワーは、広報陸地内からの補給があるためだと考え、カーンを迂回して、奥地の侵攻に取り掛かります。カーンは孤島として取り残されました。

 

 

スターリングラードの戦いと同じ様相を呈しています。

それでもドイツ軍は抵抗したようです。両軍含めて、あり得ない数の死傷者と、フランス国内への消せないほどの傷跡を残して、、、

 

そしてカーンは廃墟の町となりました。ここまで2か月もかかったようです。

 

今の町は、新しい街です。

 

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メモリアル・ド・カーンは小高い丘の上に忽然と存在します。

そこの国旗の中には、今ではドイツも並んでいます。

 

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われわれは何を考えないといけないのか

 

 欧州に仕事や旅行で行くたびに思います。

彼らはヨーロピアン同士で中世、いやもっと前から争ってきた。そして世界大戦という形で、アジアやアフリカなど他国(植民地)を巻き込んだ戦いをやってしまった。

 

いまでも世界の覇者は欧州民族なのだと。

 

われわれの日本史に、南蛮人という記載で外人が出てくるのは戦国時代くらいからです。中国ではもっと前から意識されてきたはずです。

 

アメリカが今の世界の覇権を持っていますが、これもはっきり言ってヨーロピアンです。生活様式を含めて。もっとも欧州でも彼らのことをアングロサクソンと、やや嘲笑的に言うようですが笑

 

 

人種差別的な発想で行っているわけではありません。

実際に欧州に住んでみると、完全に人によりますが人種でレッテルを張られて悔しい思いをすることがあまりにも多くあります。

 

 

news.yahoo.co.jp

 

ドイツの元代表エジルの件などは、本当に端的にこの問題を表しています。

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では、みなさんいつからヨーロッパに移民が入りだしたのか、米国で差別が強烈になったのか知っていますか?

それと植民地支配の構図を掛け合わせて歴史を知る必要があります。

 

世界の現実はこうなのです。もちろん、その壁を越えて融合していこうという流れも実際にあります。でも、トランプ氏が全てぶち壊してしまいました。

 

 

日本人は教育の間違いのためいまだに勘違いしています。

戦争が悲惨だからという理由のみで、世界における争いをなるべく収束するように、各国が動いていると。

 

 

本当は、それだけではありません。

支配され、支配し、搾取し、搾取されてきた者たちの自立のための戦いなのです。

そういう意味では、北朝鮮が言っていることにも一理あるのです。

 

簡単に明け渡すとただただ米国含む世界の秩序という名の人種に支配される。

閑話休題

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日本は、鎖国をしてきたこと。そして江戸末期から明治時代にかけて急激に西洋文化を取り入れ、ただしその時期に植民地化を珍しくおけなかった(!!) そういう意味で珍しい国家なのです。

 

 

中国に先駆けて近代化し、ロシアとの戦争に勝ち、なんだかアジアの中の最強になってしまった。それ以降調子に乗ってしまった。。

 

 

しかしそのころの日本人は、世界の中での自分たちの位置を、間違いながらも常に意識していたと思います。残念ながら、世界はまだ人種の問題を乗り越えられていないのです。言葉も違いますし。。。

 

 

では翻って今の日本人はどうか?

 

戦前と同じように、考えかたを統一することを強制されてやしないか?そしてそれに甘んじていたり、疑問を持たなかったり、自分を知る努力を忘れてはいまいか?

 

私にとっては、今の終戦の日は、悲惨さを思い出す比ではなく、より世界をよく知る必要があることを思い出させる日なのです。

 

では。

 

リウマチにおけるボタン穴変形の手術 実所見をもとにした考察

管理人です。

先日はPIP関節の伸展制限、DIP関節の過伸展変形を呈する指変形、、、

いわゆるボタン穴変形の再建術を行いました。

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ネットで調べるとこんなのが出てくる

 

 

www.msdmanuals.com

 

明野中央病院 :: リウマチによる手足の変形~その予防と手術療法~

 

このあたりが一番詳しい、専門的にやっているところかもしれません。

 

治療の数が日本で最も多いと思われるのは、

新潟リウマチセンターであると思います。石川肇先生が有名です。

 

ネット上で術式について細かく書いているのは、私くらいでしょうか(笑)

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www.orthopaedicrheumatologist.com

 

 

詳細はこちらを見てもらえるとありがたいです。

 

 

今回の冒頭に乗せた写真は、まさにこの

”示指ー中指”パターンでした。

 

本来ならばこれに加えて人工関節も同時に行うべきだったのですが、患者がまだ若く、仕事も現役で現場でされていたので、腱のみの再建としました。

 

 

術中所見です。

 

1.中央索の遠位付着部の腱成分が不明瞭

2.側索がどこにあるか見えないくらい落ち込んでいる

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 まさに教科書通りでした。

手術手技書にあるとおりです。

 

 

目指すは中央索の前進と、側索の伸筋化です。

 

ところが1の所見があり、本当ならば、可能ならば、

停止部より15ミリくらい近位の、腱繊維がはっきり見えるところまで切除して

腱を中節骨に縫着したいところです。

 

 

ところが、実際にはそれは不可能です。この位置における中央索は滑走距離は5ミリにも満ちません。したがって、15mmの前進は不可能なのです。

 

また側索は落ち込んでいるものの、連結した瘢痕組織により実際にはほとんど伸展機構は滑走できないのです。

 

 

 

これは実際に術野を見ないとわからないことだと思います。

ということで、実臨床では、Matev法のように側索を

段違い切離して、中央索を再建する方法や、今回私の行ったVY縫縮が行われます。

 

 

 

実際のVY縫縮は、一部瘢痕化した腱成分と背側関節包を一塊として、腱近位部に縫い縮めることになります。その後斜辺同志を縫縮する。

 

完成図です。

 

<googleにより衝撃的なコンテンツとされましたので、画像はいったん引きました。>

 

 

 

手前が近位です。

盛り上がっているところが斜辺のフラップの縫縮部分です。

左にある筋鈎の真下の白色のものが側索です。

 

側索は見事に持ち上げられました。

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VY縫縮の限界点

 

これはイコール関節温存手術の限界点とも言い換えることができます。

 

腱の形成術なので、関節の適合性が不良な関節では、最終結果はあまりよくありません。しかし背側の骨棘ならば場合により一部切除できるかもしれません。

何よりも適合性です。

 

 

そしてもう一つの致命的な限界点が、側索の短縮です。

ボタン穴変形でもスワンネック変形と同様に高度短縮をします。

しかも、前述の記事の通り、ボタン穴ではストレッチをする方法がないのです。

 

 

これが高度になりすぎると、PIP関節で背側に持ち上げることができず、Matevしかできなくなります。

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それと加えて、

関節が痛んでいるときには、人工関節置換とVY縫縮は両立できるのでしょうか?

 

フラップを長くおこし、側副靭帯を一部剥離すれば関節面を正面に見てアプローチも可能かもしれません。背側の縫縮をきちんと行うならば、おそらく一部の側副靭帯の剥離は問題ないと思われます。

 

 

なので、実際の限界は側索の評価になるでしょう。

側索の定量的な拘縮評価法はあるのでしょうか??