管理人です。
発表もぼちぼち終え、帰路についています。
各専門職にとって学会とはいかなる意味を持つのでしょうか?
ここを知らないと、未来の発展のためにいかなる手も打つことができません。
「学会」といって写真を検索すると、学会上の写真や、個人の発表時の写真など、それらがトップに挙がってきます。そして圧倒的に、医療分野が多い。
なぜ医療分野が多いのかとか、多すぎるのではないかは、今後の考察に回します。
今日は医師にとっての学会の意義は?とします。
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医師にとっての学会とは?
今回参加したのは、私のメインフィールド、日本リウマチ学会です。
この学会は、珍しく事務局の主体性が高い学会で、整形外科学会などと比較すると、事務能力が非常に高いです。
もう一つの出身母体である日本整形外科学会では、主宰校の色がものすごくこめられます。最近は会員数と参加者数の増加のため、大都市でないと会場と宿が入りきらないという理由から、多くの場合 東京・横浜・神戸・京都 で行われます。
これで開催校がこれらの都市であると特にですが、地元の名産を出したり、表ないしとして舞妓を呼んだり、山下公園の船を借り切ったり、、、さまざまに主宰校を手を尽くします。
これが厄介なんです。
一度主宰校をしたことがあります。
もとい、整形外科総会は一度ですが、他の小さな研究会なら10度は下りません。
プログラムを組む、宴会の手配に飽き足らず、タクシーの手配、観光バスの案内、なぜ医師であって、本来学会に勉強をしに来ているはずの自分たちが、主宰校だからって、朝5時半に毎日集合して、バスの案内や会場前での交通整理、声出し、クレームの対応、、、
僕らはツアコンじゃない。と常に頭の中ではキレている。 しかも働いているのに、無給で働かされる。むしろコングレのスタッフの方が給料をもらっているのに、担当部署から動かないし受付とかだけの事務作業。
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解散するのは宴会などのおもてなしが終わって夜8時過ぎ。
自分たちもご飯食べていないし、スーツ着てへとへとで、ストレスMAXなのでご飯食べに出る。家に帰って、日が変わるくらいにやっと床にはいる。そして翌日朝5時半集合が再びで4時過ぎにおきる。
この怒りを感じるほどの状況を経験して、
さらに学会で最も費用が掛かっているのは、会長招宴というバラマキであることを勘案すれば、学会はいわゆるえらいさんたちにとっては、ロビー活動の機会であり、勉強の場ではなく自身の虚栄のための場所なのです。
と今では完全に思っています。私見ですが。
会長招宴って一人何万円費用をかけているのでしょうかね?
とはいえ、自分は一般の参加者ですので、
それでも毎年参加費を払って学会に行っています。
なぜか?
それは勉強の場であり、普段の孤軍奮闘から離れて、他大学の同じ分野で頑張っている人達との、旧交を温める。
そう、同胞に癒されに行っているのです。
絶滅危惧種といわれるリウマチ外科医は、年に一度同じ憂き目にあっている同胞同士で、励ましあって生きているのです。笑
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翻って若い先生たちにとってはいかなるものでしょうか?
若いうちは病棟仕事や当直、救急のため、学会自体、あまり縁がありません。そもそも学術の前に、その科の常識事項、通常業務をまず覚えるという段階です。
給与も病院からはそう高くなく、学会の参加費というのは、基本やすくないので、旅費とあわせるとなかなかな負担になります。
しかし専門医制度というものがありますので、勉強を兼ねて、「単位」というものを取りにいかないといけませんし、学会発表と論文作成がほとんどすべての学会専門医において、必須事項とされています。ということは、学会は彼らにとって楽しむところではなく、日々ただでさえきつい日常業務の上に載っかかってくる、邪魔なものであるはずです。
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私は学会発表・論文作成なる程度慣れてしまいましたし、自分の演題でやっていけますので、そう時間はかかりませんが、若い時に費やした時間といったら・・・
1発表で1月半はよるとかの自分の時間を切り売りしていました。
医師にとって、病院業務時間のこの時間を勤務の一部と考えるか、自己研鑽の時間として、英会話などと同じに考えるかは、議論の分かれるところです。
ただ若手医師に関して言えることは、この時に遊ぶのではなく、自己研鑽をしっかりしないと、中堅になったときに自分に何もないことに気が付きますよ。
とはいえ、医師にとっては学会はいろんな意味で人間模様のるつぼです。
必要不可欠といったところでしょうか。
でも研究会とか含めて多すぎますね