管理人です。
最近は本業のリウマチ医としての仕事より、
リハビリテーション医としての仕事が中心になってきています。
いっそだらだら仕事に呑まれるのではなく、逆に飛び込んでなんたるかを考えてみたほうが、未来への道が広がるのではないかと思い、いろいろ考えてみました。
リハビリテーションは障害学である
このことは、どの教科書にも、講義にも必ず出てきます。
例えば脳卒中で右片麻痺を生じれば、歩行障害を引き起こします。
この歩行障害を治療の対象にします。
とはいえ、
いきなり歩行障害といっても、何をしてよいかわからないでしょう?
なので、自分に置き換えてみましょう!
例えば、朝起きてベッドから降りて‥‥
☛そう、この時点で端座位が取れない、体位変換ができないの時点からが治療のスタートです。端座位も保持できないならば、なぜできないのか?を考えます。
考えてみたでしょうか?
よく考えるとわかります。
障害学を表面だ学んだだけだと、歩行障害を分解できません。
リハビリテーションに必要な力は、「どれだけ他人の生活に具体性をもって入り込めるか」です。 これは紙面上の学問では身につきません。
そう、入浴介助です。どうやって浴槽をまたぐのか。どうやって方向転換しておしりを向けるのか。その時どうやって体を安定させるのか?
これらのことを深く考える必要があります。
これらは、生活期のリハビリテーションでは、状態変化がそこまで大きくないのでやりやすいのではないでしょうか?
あえて誤解を恐れずに言えば、介護学に等しいです。
悪く言えば、頭より体を使うという側面が非常に強いです。
逆に急性期では?
これはこれでむつかしい問題です。
元の疾患の影響が大きすぎて、生活訓練は不要です。
また残る障害に関する予測も一定しません。
したがって可能なリハビリはどうしても訓練中心になります。
機能回復を予想しながらそれに寄り添う訓練。。。
その予想は、いまだに人の勘に頼った方法で、かつ介入方法もここ20年以上、おそらく進歩していません。
体調が落ち着くと、単位数の不足から回復期に転院してしまいます。
回復期のリハビリテーションPTは、急性期のPTのことを、訓練のみなので、
「なんちゃってPT」と呼ぶ人もいるようです。
くわばらくわばら・・・
急性期では、その間の機能回復に特化するのであれば、それに沿った研究マインドを持つべきでないでしょうか?
じゃあ回復期が本当にすごいのか?
回復期は多くの場合、生活期も見越したサービスを組みます。
そういう意味では、残る二つのいいところどりかもしれません。
訓練時間もみっちり3時間・・・
良くも悪くも一日コスト約2万円の訓練料金。
これは以前にも書きました。
www.orthopaedicrheumatologist.com
www.orthopaedicrheumatologist.com
リハビリテーションの基礎が障害学であるなら、
ここで行われるのは、障害を最小にする、つまり自立を最大限に援助するための時間をほとんどにしないといけません。
脳卒中のリハビリを例にとりましょう。
嚥下障害で、昼食時間中だけSTによる訓練を行う。
水飲みテストがクリアすれば、食事形態を変えながら訓練を続ける。
意外と食事はその後の生活を決定づける内容にもかかわらず、意外とかける時間は少ない。ましてや高次脳機能障害のある方では、食事を食事として認識できない方もいて、これの訓練をどうやったら認識できるようになるかなんて、ほとんどアナログです。
やっていることはわかるんですが、
やっぱり効率的な自立支援が、アナログっていうのは違和感が残るのです。
相手が人間全体だから仕方がないという意見もあるかもしれません。
しかし、人間だからこそまだ未知の領域が無限にあって、新たな方法の開発にも着手すべきだと思うのです。
巷ではロボットリハビリテーションがもてはやされていますが、私は賛成しません。
どちらかというと、
再生医療とコラボレーションして、障害学の進歩をそちらに預けていくくらいのほうがいいのではないでしょうか?
私はそちらに未来を見つけます。
もちろん、ナノマシンを用いた身体再生医学ができればもっと話は変わりますが。。。
その時には、
細胞 VS ナノマシン
の戦争になりますね笑
本日はここまでにします。