リウマチ外科医の徒然草

より良く生きるための抜け穴探しのゆる~いブログ

他人に興味を持ちすぎるのは自分を縛ることと同じであると気づかされる記事 読んでよかった記事の紹介

良い記事を目にしました。

 

自分が読者になっているブログを回遊していただけなので、特別ではないのですが、

言い得て妙なので、すかっとしました。

parupuntenobu.hatenablog.jp

 

国内で働いているとき、いつも他人にイライラしていました。

そして同時に他人に何かをさせられていることに不満を抱いていました。

 

 

 

ところが、海外に出て、自分の行動に誰も何も言わない環境に来てしまい、

なんて気が楽なんだ・・・・

 

 

 

誰も自分に何かを強いないし、誰も私のことを良い・悪いなどを言わないのです。

 

何でも自分が良いと思うことをやったらいいのです。

他人に指図されることはない。

 

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ある時フランスと日本を行き来して、絵画のお商売をされている妙齢の女性とワイン会でご一緒したことがあります。

そのときにっこりしながら言われました。

 

「なんでも好きなようにしたらいいのよ。好きなように生きなきゃダメ。」

 

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私が国内の医局という組織で、キュウキュウに疲弊していたのがお見通しだったのでしょうか?

 

 

 

 

 

日本人の悪いところです。

 

「他人に興味がありすぎること」

 

他人が何をしようといいじゃないですか。

他人を自分のために使おうなんて馬鹿な事考えない!

あの人の行動が気にくわないとか噂しない。

 

 

 

 

日本の会社組織の思想的欠陥とつながった発想であると思います。

指揮系統などと、組織を守るために他人に無茶な指図をするんじゃねえ。

他人をコンロールしようとして不満やクレームをぶつけるんじゃねえ。

 

 

そう、上記記事の

中国の台湾の行動に対する、呼ばれてないのに不満を表明する姿勢。

 

 

そっか、嫉妬ととらえればいいんだ

 

 

 

ほっときましょう。

他人は自分の自由にはなりません。

不満を持ったのなら、その自分を変えた方がよいですよ。