ウェンツ瑛士が、休業宣言をしてイギリスに留学をするという記事を見ました。
清潔感のあるキャラクターと、安定したトーク力。空気を読む力。
劇団四季あがりの確立した演技力。
何でもできるオールマイティーです。ゆえに周囲からの期待も高く、頼まれごとが多く、仕事には事欠かないけど、ようやく今になって自分自身に向き合えたようです。
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周囲に迷惑をかけてでもかなえたい夢
ウェンツはそのように、自分のやりたいことを選んだことを述べています。
皆さんはどうこれをとらえますでしょうか?
評価は人によるかもしれません。ある人は、自分の行動で他人が予定を変えるなど負担を強いることについて責を負うべきというように思うかもしれません。ある人は、自分のことは自分にしか決められない。自分の未来を選ぶのは当然であると思うかもしれません。ある人は、仕事の面から何を自分から仕事を選んでいるのか!という人もいるかもしれません。
私は。
彼の英断に心から敬意を表します。
www.orthopaedicrheumatologist.com
私も昔は、周りから依頼されるがままに、他人の期待をくじかないように、沿うようにすべてのことをするべきだと思っていました。
いや、思っていたというよりも無意識にそのように行動していました。
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こういった決断を受け入れてしまうと、自分自身にウソをつき続けることになります。そしてむしばまれた自己抑制が自分を苦しめるのです。
まじめであればあるほど、他人の要求、期待に応えようとします。
日本人は特にその傾向が強いです。幼少期からの教育がそうさせるのでしょうか?
海外(オーストリア)にしばらくいて、彼らがいかに優しいかを感じました。他人には決して干渉しないけど、援助はする。
日本人のように、「他人はこうあるべき!」みたいなことは言わないんです。
なんで私が困っているのに気付いてくれないの?
普通夫なら○○○○べきでしょ!
なんであの人は大きな荷物を持って電車に乗ってるの?
他人に配慮するべきでしょ!
なんで彼は先輩の僕よりも早く帰宅するんだ?
後輩なら先輩を手伝うべきだ!
こんな事例は掃いて捨てるほどあります。
ぜ~~んぶ”べき”です。
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こうすれば楽になるのに
私はこうした考える癖に海外で気づかされました。私自身が、職場の空気や流れに身を任せて、勝手に他人を評価・ラベリングしていました。
もう、そのころは他人にイライラしてばっかりでした。
いまはこう考えて、ちょっと楽になりました。
人は人。自分は自分。人の前に自分が一番しっかりしないと。
それと忙しくしたらいっぱい失うので、普段のことは腹八分目にして、
残りの時間は他人の手助け。
情けは人のためにならないが、手助けをした自分のことをもっと好きになれるようなきがします。感謝された時の相手の顔が癒しになります。
体現しているのはこの人でしょうか?
この境地に入れば、完全に自由になります。
わが人生、常に天地とひとつ。
自分の人生、誰かによって生かされているわけではありません。すべては天が決めているので、天とつながっている限り自分は無限に自由。
漫画「バガボンド」でも、沢庵和尚が武蔵に向かって言ってました。
そう考えたらいいではないですか?
本質を外してなくて、自分に正直にありなさい。
その限りでは自由ですよ。
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ウェンツを行かせてあげて!
そう。私が言いたいことは。これです。
彼は自分で本当の自由とは何かを理解し、苦難を乗り越えて手につかみました。
だれもかれの邪魔をしないで上げてください! それが私の心からの願いです。
そしてそれは自分へのエールでもあります。
自身も自分自身のやりたいことのために、本当の自由を選び取れるチャンスが来ますように。