怒涛の一週間が終わろうとしています。
リウマチの中でも手外科の人には、いいような悪いような。
日曜日から始まった学会で、水曜日に京都から札幌に移動、手外科学会にとハシゴする形になりました。
心境の変化から、最近メインの学会では最低2演題、できれば主題やなどの話す時間を長くするように画策しています。
できることなら大きなシンポなどで話す機会がほしい。。
露出を多くして、行けるところまで行ってみる。
そう思うようになりました。まだまだ自信を持てるほど自分のレベルは高くないのですが、実力が伸びるのを待っていても、環境を変える努力(確変をねらうというらしい)をしないと、自分より実力が低かった他人に結局長い目で見ると、実力も実績も負けてしまうという事実を知ってしまったからです。
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この本は、自分の知りたくなかった事実を教えてくれます。
心を強く保てるのであれば、一度この本を読むことをお勧めします。
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40代に入り、学会では若手といわれますが、実際に組織の中では若手ではありません。
自分に芽が出ているので仮にあるとすると、ここ数年のうちに実力が上の人たちと一緒に仕事できるところまで上がらないと、先はないなと思ったのです。
これまでみたいに、こっそり一般演題で申し込んで、5分しゃべって、聴衆の少ない部屋で無事に終えて‥‥ なんて自己満足をしているのでは意味がないかなと。
多数の学会に参加して発表だけしていてもそれじゃあ確変は起きないのです
実際、自分よりも後の卒業年次の先生方でも、学会の中心人物になりつつある人は多数存在します。芽が出ている人は40歳でもう芽が出ています。
逆に私は気づくのが遅すぎたのかもしれません。
正直、芽が出ないなら開業をしようと考えていました。
変に道に残って、後輩たちの伸びていくのを妨げるのだけは避けたいし、可能なら家族も楽にさせてあげたい。
いまの公的病院かつ安月給では、十分に子供のお金をかけられないからです。
一般の商売などと比較して、開業である一定の収入に達する確率は、飲食業などをするのに比較して、成功確率が高い。
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自分の商才には疑問がありますが、一般的な医師なら何とかなる世界なようなので、逆に誰でも行けるのなら、芽が出ないと悟った時点で、生きる道を変更しようと思っていました。
貧弱勤務医 → 初心者開業医
投資をしていたのはアーリーリタイアのためです。
開業してしまっては、商売は簡単に閉じれませんので、すなわちアーリーリタイアを諦めることと等しいです。
葛藤がありましたが、
いったんこの決断を2年延期することにしました。
それは確変?かもしれない事象が起き始めてきたからです。
ちょっとだけどシンポジウムの演者。
少額だけど研究費の獲得。
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小さな努力の結晶ですが、乾ききった心の砂漠に一滴のみずがしたたり落ちたようです。しみわたりました、そしてあと2年だけ頑張ることとしました。
努力は小さな確変なので、続けないといけないですね。
もう少しだけですが頑張ります。