夏休み期間も終わり、小学校・中学校など始業式が行われ、いつもの日常がまた始まりました。臨床実習の学生も、再びローテートするようになってありきたりな秋が過ぎていく。
秋はまた学会シーズンです。
10前後もある自分の発表を準備をしながら、
いったい論文とは何なのか? 何のためのものなのか?
そう考えるようになりました。
今回は長文です。
誰のためのもの?
一般的な論文は学位をもらうためのもの
論文とは何なのか?普段自分の感じている違和感とは何なのか?を知ろうと思い、インターネットで調べてみました。
大学院生の卒業要件でもあります。
論文とは、何かの持論を理路整然と説き、確立することを基本的には目的としているはずです。
大学院生は、在学期間中に自分が行ってきたことを、形に残し、その結果に対して学位を授与されるわけです。
本来ならば、論文とは形式がきちんとあり、論拠に破綻や矛盾がなければ、すべての論文に意味があるはずです。
論文に書かれた叡智を、世界中に発信し、得られた知見から新たに文明・文化が発展するための、社会的な意義が最も大事なはずです。
学生にとっては、自分が独り立ちするために、意味はないかもしれないかもしれないが、学位をとる。
そのための手段です。
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しかし、現代の論文といわれるものは
それ以外の価値が付加され、そちらの方が大きくなっています。
論文に通貨的な意味合いが付加されている
論文と一言にいっても、ほとんど作文に近いようなものから、査読に査読を重ねられ、練り上げられ、パブリックな価値の高い、本当の論文まで様々です。
本来的には、すべての論文の価値は個々にあるはずですが、
社会的な影響により、価値に重みづけがされています。
それがImpact factor(IF)です。
このように雑誌そのものも自分の雑誌の価値を宣伝します。
IFの算出方法はきちんと計算式があるのですが、それはおいておいて、
研究者にとっては、このIFを個人がどれだけ持っているのかが、自分の就職を左右します。何点持っているので、採用してくださいと。プロモーションするわけです。
研究職の世界とは厳しいもので、正職員として採用される枠は本当に少なく、
(海外ではテニュアといわれます)これをとれないと、10年以上、大学を卒業してからアルバイトでつなぐような生活をしている人が、ずっと非正規雇用を続けるなんてのが発生するわけです。
したがって、文系の研究者の自殺など、日本でも事件は絶えません。
研究者にとってはIFは命なのです。
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IFはそして通貨でもあるのです。
IFは雑誌に対して割り当てられるので、必然的に海外に限られた雑誌に高いIFは集中します。
野依さんはこう言っています。
一部の大手出版社に人類の英知が独占されている。
それを読むためには高額な購読料が請求される。
大学図書館などが払っている購読料はそれこそ10億円などを超えるはずです。
また、商業ベースで、ある薬剤の有効性などのついて論じたものについては、製薬会社が多額の献金をして、研究者にかかせる。
つまりやらせのような論文も存在する。
論文のIFが高ければ、信ぴょう性のある情報として、MRなどからこの薬はいいですよ。使ってください売ってくださいと、販売促進に用いられる。
臨床医は安易に、論文に書いていると都合のいい部分だけ受け取って、薬を使ってしまう。データには捏造なども含まれていることもある。つまり一種の詐欺行為です。
そんな混沌とした世界です。もはや自分の目で見たものしか信じられない。
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オープンアクセス化の光と影
人類の英知の寡占が、大手出版社によってされているというのは書きました。
それに対して、だれもが無料で読めるようにするという試みがされるようになります。
なんせ、人類の英知なのですから、平等であるべきで、誰かが利益を得るためというのはおかしいということです。
なので、公的資金を用いた研究なのでは、オープンアクセス化を義務化するような流れになってきました。
このオープンアクセスというのは、通常購読者しか読めない論文が、誰にでも無料で読める。 無料配信ということです。
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じゃあ、誰が出版にかかる費用を負担するのか?
そう、今度はこれまで研究者は出版費用を払う必要はなかったのに、研究者がみんなに読んでもらうために費用を払うようになったのです。
論文を書くというのは、本当に苦行です。
作文程度の日本語論文、商業雑誌なんていうのは本当に楽なものですが、英文の一部雑誌というのは本当につらいものです。
されたことがある人はわかるのではないでしょうか?
無間地獄そのものです。
ただ、IFは通貨であるため、ちょっと好きなことを論じたいだけならともかく、アカデミックの世界で生きていくためには、IFのある英文雑誌を目指すことになります。
無間地獄の上に、掲載料を研究者が払う。。。。。
世の中はどれだけ研究者につらくあたるのか。。。
多くの臨床医が研究の道に行かず、というのはそういう背景もあります。
とはいえ、オープンアクセスにより途上国の方や、大学などの所属しない人でも論文を読めるようになりました。
ところが問題は発生します。
オープンアクセス化の費用が40~50万円かかること(!!!)IF雑誌ならよくあります。またハゲタカ雑誌といって、名もない雑誌があちこちで乱立されるようになりました。
今でも私のところにも英文で「投稿しませんか!」と英文メールが一日50通は来ます。
投稿したら載せてやるから掲載料を払えと。
インターネット環境とPCの進歩により、ハード版がない電子書籍の出版費用はとても安くなりました。
ですので、どんなしょうもない論文でも、誤字脱字や捏造だらけでも、載せて掲載料をもらってしまえば、新規出版社はもうけが出るのです。
百田尚樹さんのこの本に書かれている小説と似たような内容です。
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ハゲタカ雑誌が、掲載料をむさぼることを目的として研究者に群がる構図。
また研究者も、お金だけで掲載されて、
「自分の論文がの載った」ことにできるので、無間地獄から逃げたくて、つい送ってしまうこともあります。
これはまさに麻薬で、見る人が見れば、この研究者はオープンアクセスの偽物ばっかりでとうことがわかるにもかかわらず、なんでも載るので甘えてしまう。
そうして、本当にいい論文を磨くことをやめて、適当な内容をハゲタカに送る。
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それともう一つの問題が、IFを持っている雑誌社も、もうけのために自分たちでオープンアクセス雑誌を新設して、IFをちょっとだけつけていることにあります。
しかもかなり高額な掲載料で。
公的研究費で、IFを買うような、偽物の通貨が発生しているのです。
悪貨は良貨を駆逐する。。。。。
そんな時代がすでに始まっているのです。
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それだけではなく教授陣によるgift authorの強要
私の所属している組織の前の教授はひどいものでした。
本来は研究のauthorというのは通貨の所持者です。
つまり研究をしなかったものにはお金は入らないはずです。
ところが、その人は所馬代をとるのです。自分は科の責任者だから何もしていないけど名前を入れろと。
日本全国その傾向はあるので、(海外から見たらこれだけでアウトです)百歩譲ってこれは許しても、加えて要求してきます。
「○○と××と、3名を入れておいて」
もちろん研究とは縁もゆかりもありません。
彼が貸しを作りたい相手を入れるのです。
まさに搾取。
これが日本国内では横行しています。
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なので、いわゆる悪い人たちは自分が知りもしないししてもいない研究をしたことにして、政治で甘い汁を吸っている。そんな人たちが学会も牛耳っている。
それが現在の学術界です。
本題の論文とは何のためのものか?
本題に入るの正直怖いです。
学位をとるための手段であるのは、大学院生。
賢い人たちはアカデミックから降りる方がよい。なぜならハゲタカばかりでばからしいから。
でも、自分の思うところを調べて結果が出るというプロセスを嫌いでない人はどうしたらいいのか?
そして誰のためでで何のためで、これに残された半生を使っていいのか?
それが一番の問題です。
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論文とはアカデミックでは通貨であり、正しく使うなら、わかる人はわかるものである。学会ではなく、ノーベル賞など本物の人たちを見ればわかるが、結局政治屋さんたちの教授医師たちは、本物ではないし、そこまではいけない。
このアカデミック通貨は使っても減らないが、使えるのはアカデミックの世界だけであり、開業や独立などする場合は、一文にもならない。
一方この通貨は、わかりやすく自分のスペックを指標とすることはできる。ズルしている人もいるが、それはおいておいて、自分のブランドを作るときには使える。
すぐ独立した開業医たちは同業者内でのそれがないので、学会専門医とかそういう簡単に取れるワッペンみたいなものを代わりに取る。
www.orthopaedicrheumatologist.com
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なので、考えるとやっぱりもしも論文がないと定職につけないとか、搾取されるという状況にないのであれば、
論文は自分のためのものであるといえる。
自分をブランディングするためであり、そのためには作文ではなくキチンと論文として出すべきで、しかもその成果を同業者内や他業者にも見える形に変えるのが最もよいのではないかとも考えた。
本当に私見ですが、そういう結論に今のところはしようかと。
すでに博士号も持っているし、論文を書くのには苦労していないが、分野がニッチなこともあり、ほとんどIFとしては低いものしかもっていないが、これからも書き続けることにする。
ただし、それは他人に言われて書くというのは二度としない。
自分のブランディングに結びつかないものには手を出さない。
そう決めました。
仮に独立するときにでも、自分の立ち位置が確保できるように準備するのはこういうことだと思いました。
では。
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